誰も教えてくれないなら自分で気づく。
自分で気づかないなら誰かに教えてもらう。
音楽の本を読んでいて気づいて考えた、「利き足と軸足」について。
スラックラインも同じだ。いや、人間は原始人の時からそうやってたんだ。
目から鱗でした。
スラックラインとリズム
利き足で状況をコントロールし、軸足でしっかり立ちつつリズムを生み出す。
人間は二足歩行を始めた時からそうしていた。
文明が未発達の頃はまともな道なんて無かった。
草だらけで水たまりもあるような原野を歩くときは、立ち止まっては足場を確認していたはず。
そんな状況では、人間は利き足で足場を探りながら歩いてた。
残った軸足は倒れないように体重を受け止めた。
しかし、軸足が完全に止まってしまってはバランスを保てない。(え!?という人は、実験してみて)
そこで軸足はリズムを生み出し保つことで体勢を効率的に制御し、利き足が地面の状況を整える仕事をサポートした。
何かを操作するのが利き足、軸足は動かず倒れないように体重を乗せ、バランスを取りやすくするためにリズムをとる。
体勢を保つための軸足は歩き始めると、リズムを制御する。体が揺れる。体内の活動が規則正しくなる。
リズムは軸足でとると体全体が乗れる
ロングラインを歩いていると、落ちない感覚になる時がある。
気持ちよくあるけたなぁって!感じ。
言い換えれば、リズムよく歩けたなぁ!って感じ。
こういう歩行リズムってラインの揺れと身体の揺れがいい感じに調和したんだと思う。
ご存知の通り、ラインの揺れは場所によって違う。
アンカー近くでは小さく速い揺れ、中心部付近では大きくゆっくりとした揺れ。
揺れが違うから、ラインに歩行リズムを合わせるんじゃなく、体でリズムの方を優先させる。
体のリズムを保ったまま、ラインのリズムの波に乗る。
それが気持ち良く歩けるリズム。
バウンストリックでもリズムって大事だと思う。ラインの沈め具合でリズムが変わる。
最大限にリズムが盛り上がっただ時、ズバンって深くラインに沈みこめる。
利き足の方にはバランスをまかせる。
リズムをとるのは軸足
ここで言う軸足ってのはその時の体勢での軸足って話ではない。
自分がどちらの足を軸足として普段生活しているかという本当の軸足。
体に染み付いている軸足と利き足。
繰り返しだけど。
利き足は足場を探ったり、木の枝をどかしたりと細かく動かして何かをコントロールすることに長けている。
軸足は倒れないように体全体のバランスを制御していた。リズムを生み出し、バランスを取りやすくし、利き足のリズムも制御した。
さてさて、これらを踏まえてスラックラインに乗ろう
利き足と軸足を意識してスラックラインに乗ってみる。
細いラインの調整を利き足に任せつつ、軸足が歩行リズムを保つ。
歩くと足の順序が入れ替わるが、軸足利き足は入れ替わらない。
利き足は前にあっても後ろにあっても、その足でラインコントロールできる。
これはなるほどーという発見。
前足でもコントロールできるし、後ろ足でもできる。
より意識するのは軸足のリズム。体が生み出す波。
ラインの波に惑わされず、逆に生かし自然なリズムで歩く。
ここでうまくリズムが取れないと歩きにくい。
あれれ、リズム難しい。乱れると意識を持って行かれてしまう。
結局、歩きやすいの?
試しながら歩くけど、むずかしい。
利き足、軸足の仕事を意識しながら歩くより、何も考えないほうがスムーズに歩ける。
しかしそれは当たり前。
バランスやリズムという微妙な事を意識しながら歩いていたらチグハグさが出てしまう。
音楽の演奏を当てはめれば理解できる。
自然に体でリズムが取れなければ意味がない。
ラインの波のリズムや歩行のリズムを頭でどうにかしようとしても無理だろう。あくまで自然に。
リズムや足先でのコントロールに注意を払いながら歩くことは新鮮な気づきもあったけど、そのあたりは結局は身体の自然なバランスとリズムにまかせた方がいいに違いない。
だけど本当に気持ち良いリズム・バランスを求めるなら、なんとなくでも軸足利き足を意識することは意味があるはず。
心と身体、調和と均衡
スラックラインって心も身体もバランスが取れてないとリズムよく、つまり気持ち良く歩けない。トリックでもなんでもそうだと思う。
ライン、風景、心、身体、バランス、リズム。これらが調和というワードでつながる。
スラックラインとは?
スラックラインとは調和を求める道
どうりで終わりが無いはずだ。求め始めれば終わらない。始まめてしまえば、終わらない。
これに気がついた時、なんだか呼吸が軽くなる気がした。