スラックラインのはじまり第二話スコット・バルカムのロストアロー・スパイヤー編

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この記事の作成に約 220 分かかりました。

このエントリーはスラックラインのはじまり第一話の続きになります。
第一話はアダムとエリントンがヨセミテに来てスラックラインを披露し、ロストアロースパイヤーのハイラインが失敗に終わったところまででした。

まだお読みでない方はぜひ読んでから第二話をお読みください。

スラックラインのはじまり(起源)第一話-ヨセミテのキャンプ4に現れたアダムとエリントン
スラックラインの起源を知るうえでヨセミテは切り離せません。 ヨセミテは自己確保以外の道具は使わないフリークライミングという概念が生まれた地域ですが、スラックラインもそこで生ま...

スコットとクリスは早速ラインを買う

スコットScott Balcomとその相棒であったクリスChrisCaroenterはキャンプ4にクライミングのために滞在していたのですが、そこで見たアダムとエリントンのスラックラインの妙技が忘れられませんでした。

彼らは地元に帰ると早速登山用品店でスラックライン用のライン(ウェビング)を探します。
アダムとエリントンはフラットタイプの15mmを使っていましたが、スコットが購入したのはチューブラー(筒状)の25mm(1インチ)タイプでした。

ラインを手に入れたスコットとクリスは、毎週末共にスラックラインに乗り、共にラインに腰かけて休みました。

スコットはスラックラインの才能が高くメキメキと腕を上げ、メンバーの中でもぴか一の実力を誇る腕前でした。
チャック・タッカー、ダリン・カーター、リック・フィーグなどのメンバーがいましたが、彼らは一時期はハマったものの途中でちょっと飽きたりもしました。 それでもスコットとクリスはお互いを絶え間なく刺激しあい、新しいトリックを習得したり、長さを伸ばしていきました。

Old School Slackline, Scott Balcom Surfing in Tucson, 1990

Old School Slackline, Scott Balcom Surfing in Tucson, 1990 – YouTube


時系列ずれますが、1990年の彼の様子がyoutubeにあります。見事なサーフィン。独特の腕の動き。

スコットは研究熱心

スコットは歩行技術だけでなく、設置や道具に関しても研究をつづけました。

彼は登山用品を巡ってはスラックラインに適した素材は無いか探しており、時には靴用の紐にさえ乗っていました。

靴紐?冗談でしょ?と思うかもしれませんが、コア入りチューブラータイプウェビングであり業務用を買えば長くて安い。だけれども当然ながら強く張って人が乗れば靴紐は千切れてしまいます。実際に乗っている最中に切れてビックリってことも。

※マネしたい方は破断に気をつけて乗ってください。

多くの種類のラインと長さを試しましたが、2人のもっともお気に入りは長さは13mでラインは9/16インチ(15mm)でした。このラインは特に伸縮性に優れてスイング(サーフィン)するのに最適で非常にダイナミックな動きが可能でした。

長いラインを歩くときは2インチのチューブラーを使用。
長いといっても最大で35mほどですが、かなりの高さで張っていました。なぜ2インチ(5㎝)を選択したかというとより伸びなくて強度が強く伸びないラインを求めた結果、2インチとなったのです。

ちなみに、ナイロン2インチチューブラーについて彼はこのように書いています。
1インチよりも遅くて鈍い。バウンスも1インチより劣る(伸びない)。ラインのセンターに立つ必要がある。だがしかし、水平に張れるなら安定して歩ける。だけどもこいつは結ぶと捻じれてしまうので結ぶには適していない。

今現在は伸縮性の低いポリエステルの薄いフラットタイプがスラックラインでは一番普及しています。ギボンがこのタイプのラインを売り出したのは24年後の2007年ってこと。素材の変化がスラックラインに一大革命を起こしたのです。

世界初のハイラインは橋の下

彼らはアダムとエリントンのロストアロースパイヤーの挑戦が忘れられませんでしたが、ついに自分たちの挑戦の兆しが見えてきます。

アダムたちの失敗はケーブルにあると思っていたのです。ケーブルはラインよりも強い力で張る必要があり、伸縮もなくアンカー地点に大きな負荷がかかります。そのために、クライミング用のボルトを使ったアンカーでは強度が足りないことは明白だったのです。

その点スラックラインはラインの伸縮性で負荷を吸収できるためにアンカー破損の危険性も低減でき、より安全性が高いと判断していました。

ヨセミテでスラックラインを見てから一年後、ついに彼らはハイラインの歩行に向けて計画をスタートさせました。

まず、使用するラインは2インチ(5㎝)のチューブラー。
幅が広くなり強度も上ったことで安心感があります。

場所は高速道路の橋の下「アーチーズ」。高さは22mで長さは7m。
とにかく高い所に張って試す。

メンバーはスコットとクリスの他に、ロブ、タッカー、リックを加えた計5人でした。
このとき1983年の秋でスコットは20歳、クリスは17歳でした。

まず乗るのはロブ。彼はこの手のスリルが大好きで一番に手をあげた怖いもの知らず。ラインに命綱をクリップしてスワミベルトで挑みます(事前に平地でテストは行っていた)。
だけれども、彼はバランスを崩して両手でラインを掴みました。その語も落ちて豪快に命綱スイングしました。

そしてその次に挑戦したやつも落下。

落下を見て、高所の恐怖感は容易に克服できないと思い、スコットは頭上にロープを張りそれを補助にして歩くことを思いつきます。

これはイイ考えで、この補助ロープを使い何度も往復しました。

次にスコットとクリスは補助ロープを使わずの歩行にも二回成功。だけど、仲間のロブ、タッカー、リックは補助ロープがないと歩けませんでした。
長さは短いですが、ともかくハイラインの歩行に成功したことでロストアロー・スパイヤーへの第一歩となりました。
83・84年二人は「アーチーズ」に幾度となく通い、高所での歩行に徐々に慣れていきました。

特にスコットは高所でも集中してラインを渡ることが可能で、クリスは彼には敵わないと感じていました。

ラインの方の改良も進みました。

長く張る場合ナイロン素材は伸びるのでより強く張る必要がありますが、張りすぎてラインを破断させてしまうこともあったほどだったのでさらに強度を上げる方法を模索しました。

スコットが思いついたのはチューブラーの中にフラットタイプの15mmラインを通すという方法。つまり、2重のラインです。ヒントとなったのは靴紐です!でっかい靴紐を自分たちで作ればいい。電気技師が電線を通す時につかうフィッシュテープを使い中に通すことに成功。

それから3重のラインも試しました。

強度も3倍になったわけですから、これなら命の危険が伴うハイラインには抜群の安心感があると感じていました。彼らはその最強ラインをトリプラーと呼んでいました。

んで、そにラインで挑むのです。ロストアローに。

※ラインの下にバックアップロープやラインをテープ止めする方法はこのときは行われなかった。たぶん。

84年のロストアロー・スパイヤー最初の挑戦

ついに準備は整い、ヨセミテのロストアロー・スパイヤーにラインを張り渡す時が来ました。
1984年の夏です。

メンバーはスコットとクリスの他にダリン・カーター、ボブが加わりました。
彼らはハイライン歩行でなく、ロストアロー・スパイヤーの登攀担当。

クリスは写真。
渡るのはもちろんスコットです。

そして正常にラインのリギングに成功。うまく張れました。
風は微風。天気も良し。

あとは歩くだけだ!
しかし、スコットは中々歩き出せない。

少し歩いてもすぐにアンカー跳び戻る。
長さは17mとはいえ、880mの高度感は尋常では無い。

彼は意を決して歩きだすが、おちてグルグル。
何度もグルグル。
風も強い。下から吹き上げる。わーお。わーお。彼は何度も失敗。
スコットは握力もなくなる。片手でラインを掴んで腕も負傷。
周りからは、「いけ。スコット。いけ。」とか「カモーン!!」とか声援が飛びましたが、スコットは限界を感じました。「カモーン!」なんて言われてもさぁ。。。

この怖さは言い表せない。

人類史上誰もこの高さの綱渡りは成功させていません。つまり、彼は人類の限界に挑戦していたのです。高く・遠くは人間の挑戦や進化では最もポピュラーな要素。映画の世界でも、本の世界でも、写真にも、想像力でも思い描けない880mの高さの歩行。

クリスは挑戦する気は多少はあったんですが、スコットの様子を見てすっかり萎えてしまい挑戦しませんでした。

85年の二回目の挑戦

クリスはすっかりハイラインへの情熱は衰えてしまいした。
ハイラインの手伝いはするものの、グランドレベルでのスイングウォーキング専門のスラックライナーとなりました。だって、ハイラインよりスイングの方が好きなんだもん。

一方、スコットのハイラインへの情熱は衰えませんでした。
ヨセミテにクライミング行っては眺める岩峰。あの場所の歩行を何千回も思い描いていました。彼は前回の失敗の原因は「怖さ」と結論づけていました。

とにかく絶対歩くという信念の元、彼はハイラインへのアプローチを包括的に見直しました。高度に対する精神的な強さを得るために行動を起こし、歩きこんでラインや揺れを徹底的に体に叩き込ませました。

85年の夏にマット・ダンシーとケリス・クリスを登攀者として仲間に引き入れ、 もう1人の知り合いであるポール・ボーンもつれていきました。

ポールとラインを張りましたが、風が不吉を予感させるほど無茶強い。一晩中強風でした。
しかーし、翌朝は奇跡的に風が止んでいる。

彼はチロリアンブリッジでロストアロー側に渡りました。
あちらから谷を渡って台地側に戻る。それか彼が描いていたハイラインの成功イメージでした。

彼はロストアロー側に渡ると、すぐさまラインの歩行の準備を始めました。去年はこの準備さえすぐできなかったのですが、今回は意を決して歩行の準備に取り掛かったのです。それだけ彼が精神を高めてハイラインの歩行に臨んでいたという事でしょう。

彼はラインを掴むとすぐさま歩行を開始しました。
最初のトライは二歩目でバランス感覚がずれていると思い、アンカーに戻りました。
その後何度も失敗。
一歩さえ進めなくなる。

だがしかし、一歩さえ進めない事で逆に、彼の中でスイッチが入りました。
まさに「禅」の境地。

“the here and now” この場所こそが現在。
“one foot in front of the other,” 片足を何かの前へ。とにかく片足を前へ。前へ。自分自身の前へ一歩進めよ。

とにかく、片足を進めることだけに集中した。

彼は気がつくと17mのうち、13mを歩いた。

大勢の観客は皆黙っている。ただ、カメラのシャッター音だけが響く。

スコットの顔に笑顔が広がった。

そして花崗岩へ最後のステップ。

スコットも観客も大いに喜んだ。これこそ歓喜。生きる喜び。

そしてこの日に彼女もできたらしい(スコットはその彼女と結婚後、数年スラクラインに乗らなかった)

スコット・バルコムは1985年7月13日にロストアロー・スパイアの歩行に成功しました。これがスラックラインのハイラインの分野で金字塔となりました。
だけど彼の成功はほとんど注目されませでした。
雑誌でスラックラインのパイオニアとして取材受けたのが10年後ッポいから。

そんな感じでスラックラインやハイラインが浸透するにはまだまだ年月がかかるのですが、それだけスコット個人の情熱が際立っていたということかもしれません。

ヨセミテのクライミングはキャンプ4のような(もしくはもっと大きな)共同体が影響しあってより困難なことを可能にしていく歴史でした。だけども、このハイラインはほとんどスコット個人で成し遂げた偉業であったわけです。

これがその動画。スコットバルカムがロストアロースパイヤーを渡った瞬間。

実際に渡った動画見たい?見たい?
ありますよ。最後の歓声すごい。
スコットの父親がカメラを手配してくれたっぽい。父親が成功した後インタビューもしたそうです。

First Slackline Crossing of the Lost Arrow Spire

First Slackline Crossing of the Lost Arrow Spire – YouTube


ポエムについて

この動画にはポエムが添えられています。音楽や声はスコットバルカム本人。
ポエムの大まかな意味はこんかんじ。

ベトナム戦争で空軍に所属していたプークはある日飛行機から降下した。その時大きな爆発があり、吹っ飛んだ。
後でそのクレーターの脇を歩くと、一本の白い花があった。プークは這いずってその花を見みた。美しい。

Beauty is fearless 美しさは恐れを知らない

ハイラインも同じ。美しさは恐れを知らない。恐れないから美しい。

まとめ


↑ダブルプーリーはクリスが売っていたスラックラインブラザーズプーリー。その後アンディルイスが製品を引き継いだ。

第二話要点

  • アーチーズのラインは2インチチューブラー
  • ロストアロースパイヤーのラインは1インチチューブラーに15mmフラットを2本通したトリプラー
  • 84年の挑戦は失敗
  • 85年挑戦は成功
  • youtubeに動画がある
  • ベトナム戦争のポエムが添えらている

今回はほとんどクリスの「スラックラインの進化(閉鎖された元祖slackline.comに記載されていた)」という文章を参考にしました。
WalK the Lineにはスコット目線でもっと多くのことが書かれていますのでご興味がある方はぜひ。特に一回目の失敗については多くの記載があります。

クリスはのちにスラックラインブラザーズプーリーを発売する人物です。このブラザーズはスコットとクリスのことなんですよ。

スコットは別名スラック・ダディ(自分で呼んでた)ともいわれスラックジャックやスラックドック発明します。スラックドックは今でのラインロッカーとほとんど同じ形状です。

二人は道具についても知識が深く、さらには商品開発までやってたわけなんです。

※古い画像は閉鎖されたスコットのサイトからアーカイブに残っていた残片を掘り出しました。


左のがスコットが開発して売っていたスラックジャック。

Walk the Line: The Art of Balance and the Craft of SLACKLINE
Slack Line is the art of dynamic balance. It's akin to tightrope and high wire but uses tubular nylon webbing. Rope walking of one form or another has been arou...

ちなみにスコットはスラックラインで使うラチェットについては否定的だった


↑スコットが持っていたというラチェット

スコットは古くからラチェットも試していましたが、あまり好きではありませんでした。その理由は大きいタイプは重いし、小さいのは巻きとれないし邪魔だし。スラックライン用として売ってる業者を見つけて驚いたとも。
張るならエリントンシステムで十分だし、もっと張りたいならスラックジャックやプーリーがある。なんでラチェットなんて使うんだい?ってことで何人もラチェット使えね。スラックラインやめたって人を見て、ラチェットはスラックラインにとっては有害とさえ思っていたみたい。

なぜ、そこまで嫌い?
って理由は簡単。

以前のスラックラインのほぼすべてが伸びるナイロンでさらに厚みのあるチューブラーだったから。
ラチェットでは巻き切れないのです。ナイロンは巻いても巻いても固くならない。何処まで引けばいいのって感じ。しかもかなり伸びる。張り始めは特にひどい。

その後登場した2インチのポリエステルラインは幅が広く薄いのでラチェットでも十分巻き切れるから実用レベル。ポリなら伸びにくいから1インチでもラチェットでも引ける。
やはりポリエステル素材がスラックラインに使われはじめたってことはスラックラインというスポーツにとっては大きな転換点だったのです。

ナイロン・ラチェットの話ばかり書いているような。そうでも無いような・・・。様々なラインと道具を使ってみてください。特にナイロン1インチは乗るべし。

第三話以降あおり

次にロストアローを歩くのは誰?
チョンゴマウントのチョンゴも登場。
それから、ディーン・ポッター。

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