スラックラインの歴史

この記事は約 4 分で読めます。 投稿から 14年。最終更新から 11か月経過。
作成に約 64 分かかりました。
slackline.jpを書いている人
歩き方

2009年からスラックライン乗ってます。国内旅程管理主任者、日本山岳ガイド協会公認ガイド(自然Ⅱ登山Ⅲ山岳Ⅰ)、NACS-J自然観察指導員。アウトドア好きでキャンプ、星、植物、お魚好き。
このブログはAmazon他のサービスを通じて収入を得ています。

歩き方をフォローする

1960年代

ヨセミテ国立公園にてクライマーたちがバランス感覚を養うために公園内に張られた鉄製チェーンの上を歩いたいた遊びがスラックラインの起源といわれる。

※閉鎖されたslackline.comやスコットバルカムの本を参考にしています。

※いわゆる大道芸的な綱渡りは世界各地で昔から行われていたようです。ポンペイの壁画にも綱渡りの様子があります。
つなわたり壁画

詳しく綱渡りについて知りたい方は、ぜひこちらを。

綱渡り(つなわたり)とは?壁画から現代、事故まで
スラックラインをやっていると、通りがかった人から「何をしてるの?」と尋ねられますよね。 自分の場合はひとまず「綱渡りをしています」と答える時があります。ロングラインの時は特に。 「...

1980年代前半

鉄製チェーンの代わりに、使い古しのクライミングロープやウェビング(Webbing-スリングを作るためのナイロンテープ)を木と木の間に張り、歩いたりジャンプしたりする遊びが一部のクライマーたちの間で行われた。

特に、このころアメリカ・ヨセミテのCamp4という野営エリアでは、スラックラインが張られていることが多かったそうだ。ヨセミテに来たクライマーは長期滞在することも多いが、クライミングのレスト日などにスラックラインで遊んでいたらしい。

なので、ヨセミテのCamp4はスラックラインの聖地といわれている。現在でもヨセミテの国立公園利用のルールによると、Camp4にスラックラインを張ることが認められている。

ヨセミテ国立公園の近くのジョシュア・ツリー国立公園でもスラックラインは楽しまれていた。

1985年

スコット・バルカムがアメリカ合衆国カリフォルニア州ヨセミテの「ロストアロー・スパイヤー」にラインを渡し、世界で初めて歩行に成功。

https://www.youtube.com/watch?v=c6RYJFz1tqI
First Slackline Crossing of the Lost Arrow Spire – YouTube


2000年

難度の高い大岩壁をスピーディー、かつ単独で登ることで有名なクライミング界のスター、ディーン・ポッターが命綱無しで「ロストアロー・スパイヤー」を渡りきる。これを期に一躍スラックラインは世界のクライマーの間で認知度が広まった。これがその動画。命綱ありではこれもより前に彼は成功させていた。

*ちなみに彼のスピードクライミングの記録(ヨセミテ・エルキャピタン・ノーズ)を平山ユージが抜いてまた、あとでディーンポッターが抜き返したりしている


Dean Potter | Documentary (Part 2-5).flv – YouTube


Dean Potter | Documentary (Part 2/5)  こちらのリンクで飛ぶと、命綱なしで渡っている所から再生されます。

2005

スコットバルカムが「Walk the Line」という本を出版。
彼の友だちのエリントンが発明したエリントンシステムというウェビングを張る方法を解説。この方法は後にプリミティブシステムと呼ばれてスラックラインが普及するキッカケのひとつとなった。そのほかにもAフレームについての記述やラチェットバックルについての記述もある。

※ラチェットは使えんと書かれている。これは当時ラインがほぼすべてナイロン製だったから。

2007年

ヨーロッパでギボンなどのスラックラインメーカーが同時発生的に誕生。
特にギボンの製品はヨーロッパで売上開始初年度に七万セットという驚異的な販売を記録。ギボンはしなやかなでフレンドリーな生地を採用し、幅広の5cmのポリエステルラインを使うことでスラックラインの難易度を一気に下げた。さらに、強力なテンションを手軽にかけることができるラチェットバックルは設置に伴う時間と安全性の問題を一気に解決。設置の煩わしさも無くなり、クライマー以外でも簡単に遊べるようになった。
メーカーはサポートライダーを使いクールな動画をYOUTUBEで公開したり、国際大会を開いたりしてスラックラインの普及を後押しした。

2009年

ギボンのスラックラインが日本でも販売開始。メディアでも取り上げられて日本でも徐々に広まりつつある。
クライミング雑誌やアウトドア雑誌にギボンのラインが紹介される。その後、販売店舗が増え一部では品切れになるほどであった。

2010

ドイツからギボンライダーが来日し、関東と関西でパフォーマンス。
2010年10月にギボン主催で東京の豊洲にてスラックライン日本オープンが開催された。